情けは人の為ならず/なさけはひとのためならず

情けは人の為ならずの意味

情けは人の為ならずとは、人に親切にしておけば、いずれは自分にも良い報いが巡ってくるということ。

情けは人の為ならずの語源・由来

情けは人の為ならずの意味は、「人に情けをかけて甘やかすと、かえってその人のためにならない」と誤解されやすいが、人に情けをかけることを奨励する言葉である。
この誤解釈は、「なら」を動詞「なる」の未然形に「ず」が付いたと考え、「人の為ならず」を「人の為(に)なる」の否定で、「人の為にならない」の意味と捉えることから生じるものである。

情けは人の為ならずの「ならず」は、「である」を意味する断定の助動詞「なり」の未然形「なら」に、打ち消しの助動詞「ず」が付いたもの。
「人の為なり」は「人の為である」。それを「ず」で打ち消した「人の為ならず」は、「人の為ではない(=自分の為である)」を意味する。

新渡戸稲造の『一日一言』(1915年)に「施せし情は人の為ならず おのがこゝろの慰めと知れ」とあるため、「情けは人の為ならずには続きがある」「新渡戸稲造が作った言葉」などとされることもある。
しかし、これは「情けは人の為ならず」を使ったひとつの例であり、新渡戸稲造が作ったわけでも、続きがあるわけでもない。

「情けは人の為ならず」の古い使用例には、『貞享版沙石集』(1283年)の「かかりし人にて、子孫いよいよ繁盛せり。情は人のためならず。道理誠に思知られ侍り」。
『太平記』(14世紀後半)の「情は人の為ならずとは、加様の事をぞ申べき」などがある。

情けは人の為ならずの類語・言い換え

思えば思わるる/人を思うは身を思う/仇も情けも我が身より出る/積善の家には必ず余慶あり/積善余慶/陰徳あれば陽報あり/陰徳陽報/善因善果/因果応報

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